2017年5月15日 (月)

 本日は某巨大企業、取締役会にお招きいただき、OODAの話をしてきました。明日夜は渋谷のヒカリエにて、若い人(たぶん)向けに同じくOODAの講演です。

 GW直前、私の記事がYahoo!トップニュースに出たせいか、問い合わせやら、「ウチの会社もOODAを採用しました」との報告やらが相次いでいます。さすが数百万人が見るというYahoo!トップニュース、インパクトはかなりのものみたいですね。

 ただ、私としては正直、少々複雑でありまして。別に私はOODAを広めたいわけでも、これで金儲けしたいわけでもありません。ただひとつ、「悪いPDCA=誰かが決めた硬直化したアホ計画に振り回されるのは止めようよ」、と言いたいだけ。

 「周りをよく見て、自分で判断し、行動できる人間になりましょう」

 これが言いたいことのすべて。そのメッセージは予想より多くの人に届いていたようで、それについては嬉しく思っています。もうそうろそろ中期経営計画や予算をつくって満足するのは止めましょうよ。

 明日のヒカリエOODAセミナー、なんでも満員御礼になって2回増席していただいたそうです。今日は役員相手でしたので安全運転を心がけましたが、明日の私はちがいます。

 明日の資料の一部↓ かなり飛ばしますので、ご来場の皆さまシートベルト着用をお忘れ無く。

0515_2

 

0515

2017年5月 8日 (月)

 調子の上がらない人々が街に溢れる月曜日。先日、電車の中で聞くともなしに聞いた会話が頭を離れません。
 それは女子大学生2人の会話でした。

 別々のアルバイトをしているらしき2人、一人の時給が950円、もう一人が1200円だそうで。950円がしきりに1200円を羨ましがっていました。

「友がみなわれよりもえらく見ゆる日よ」

 石川啄木だってこんな詩を書いているくらいだから、その気持ちはよくわかる。ただ、彼女たちの長い人生を考えたとき、その「時給の差」に意識を集中してしまうのはいかがなものかと心配です。余計なお世話なのは百も承知で。

 私は最近、商売人塾や文章などで「定年など気にせずに長く働こう」というメッセージを発信し続けています。サラリーマンには定年があるからこそ、「商売」を勧めているわけです。

 この国のほとんどの人は、学生の時にバイトをして、就職してサラリーマンになります。そのうち一部の人がその後どこかのタイミングで商売人(フリーランス)になります。
 ニーチェみたいですが、「バイト→サラリーマン→商売人(フリーランス)」がこれから「三態の変化」になるのではないかと。

 ここでバイトは「時給」つまり時間を提供して働きます。成果ではなく何時間働くか。そしてサラリーマンになっても似たようなものです。成果よりも何時に出社して何時に帰るかのほうが重要。
 こうした場で長く働いてしまうと「時間で仕事する」習慣が付いてしまい、商売(フリーランス)への転換がうまくいかないケースが出てきます。

 だって商売人・フリーランス・自営業って、どれだけ長時間働いたって何の意味もないからね。

 お客さんに意味のあるモノやサービスを提供できるかどうか。これがすべて。
 オレなんか頑張って苦労して原稿書いたのに、売れなくてマクドナルドの時給以下になってしまった経験を何度したことか。

 しかし、それをなんどか経験する内に意味のあるアウトプット、意味のある仕事について考えるようになるんだけど。果たして950円の劣等感と、1200円の優越感を感じていた彼女たちが「それを気にしない」で生きられる日が来ることを祈りましょう。

 でも、われわれ大人も彼女たちのことを心配してられないかもしれません。
 周りの人と自分を比べて、もっともっと「ちっぽけな差」を見つけては妬んだりひがんだりしているからね。
 気をつけましょうね。ご同輩。

2017年4月28日 (金)

突然知り合いからメールがドバッと来て、何事かと思ったら「Yahoo !のトップニュースに出てます!」との知らせ。

  「なんかやらかしたっけ、オレ?」

ページを見るまで不安でたまりませんでしたが、単なる引用でした。顔写真まで出ているし、ほんと勘弁してほしいわ、ヤフー。ともかく親を泣かせないで良かった。

0428

posted at

2017年4月27日 (木)

 立て続けに「これまで経験したことのない」仕事の依頼を受けています。大企業の役員相手から渋谷の若者向け、書くこと話すこと作ることその他諸々。我ながら「なんとまあ幅広い」と苦笑しています。そしてこれは、ゼニカネと関係なくかなり幸せだなあと。

 私は就職活動を放棄して「専門職」といわれる道を進みました。当然のことながら周りには「専門」にこだわりのある人が多く、つねに「専門性を磨く=自分ならではの分野づくり」に邁進する人がほとんどでした。でも私はそんな「専門分野を磨く」ことが苦手で逃げ出すようにその場を離れました。

 人には向き不向きがあり、やはり私には税金の計算など向いていなかったのだと思います(飲み屋の会計すらできんし)。ただ他流試合みたいなことは大好きで、いまでも異分野、異国、異文化に触れるだけでワクワクします。そんな自分がやっと「自分の居場所」を見つけられたと感慨深い。この調子でいけばあと50年は仕事ができそうな気がします。

 この歳でやっとわかりました。仕事って思いが形(カタチ)になるまで時間が掛かるものですね。「なぜ思い通りにならないんだ」と心で叫びながら毎晩飲んだくれた日々は、やっぱり必要だったんです。

 私は両親に一度たりとも「勉強しろ」と言われた覚えがありません。そのおかげで勉強を嫌いにならず、好きになりました。社会に出てからも「こうしなさい」と言われるたびに逆らって、「自分の道は自分で探す」習慣が付きました。

 自分の「あるがまま」で生きるのは大変だけど、いつかトンネルを抜けた後の気分は最高。これぞマズローのいうB動機(Being;あるがまま)なのでしょう。
 金なんて関係ない。Beingに生きて、おいしいBeerを飲む、それが人生。

2017年4月 9日 (日)

 春休みが終わり、子どもは月曜から新学期です。うちの息子は夜更かしし過ぎて、明日から早起きできるか心配。そこで一回転させて戻してやろうと、「今日は寝ないでずっと起きてろ」と命令してみました。すると不思議なもので、「寝るな」と言われると眠くなるようです。

 「はやく寝ろ」と言われれば夜更かしし、「ずっと起きてろ」と言われれば眠くなる。これを天邪鬼(あまのじゃく)と片付けるのは簡単ですが、ここには「人間の性質」に係わる重大なテーマが潜んでいるように思います。

 人は誰かに命令されること、義務を作られることが嫌いなのではないかと。私自身、仕事や生活全般において「マスト」が大嫌いなのでよくわかります。わが親子は「マスト嫌い」気質がめっぽう強いようです。

 最近仕事でノドから手が出るくらい新しいアイデアを欲しているのですが、「マスト」に埋もれ、To Doリストを片付ける生き方をしていると、絶対に「よいアイデアや発想」は生まれません。それを「片付ける・こなす」ことに意識が集中してしまうからです。

 だから最近はできるだけマストな作業や約束を減らすようにして、のんびりぼんやり過ごすようにしています。誰かと食事に行くときも、「会いたい気分」のときに「明日食事行かない?」と誘って、それで対応してくれる友人を大事にします。「来週は予定が詰まっているので再来週の予定いかがですか?」と調整しているうちにその食事がマストな義務になってしまうからです。

 すべてをそのときの気分と感覚に任せ、偶然(セレンディピティ?)をじっと待つ。その境地にして初めて「身の回りから学べる」ようになる気がします。これがたぶん「一生懸命頑張れば頑張るほど、結果が出ない」悪循環を抜け出す道ではないかと。

 作業ならともかく、何かを創造しようとするなら頑張りすぎてはダメですね。明日から新学期のわが子は学校や母親から「マスト」を突きつけられる日々ですが、たまにはこっそり「ぼんやりさせる」場所と時間に連れ出そうと思います。

*****************************

 「運の悪い人は緊張や不安に弱く、(中略)実際の生活でも、待ち合わせの時間に遅れないことや新しい仕事を見つけることなど、さまざまな問題で頭がいっぱいだ。ごく狭い範囲に注意力が集中して、身の回りにあふれているチャンスを見逃しやすい」
              「運のいい人の法則」リチャード・ワイズマン著 角川文庫より